チワワが警察犬になって、ちょっと話題になりました。チワワ警察犬のニュースが流れた後、多くの愛犬家からどうしたら警察犬になれるのか、どういう訓練をすれば良いのか、という問い合わせが殺到したんだとか、ちょっと不思議な気持ちになりました。
100%全てとは言いませんが、警察犬の訓練の基本はスパルタ式です。物わかりの悪い子はブン殴られますし、ある程度訓練を入れてダメだったら見放されて終わり。映画で有名になったキナコの様に何度も何度も受けて、最後までダメな場合もある。(キナコはどうやら受かったようですが)ダメでも疲れても、犬には試験を棄権したり、他の生き方を選ぶ自由はありません。警察犬になりたいと自分で思ってる犬は居ませんから、つまりは全て飼い主の意志なのです。なぜキナコはあんなに何度もあの試験を受けなければならなかったのでしょうね?映画としてはドラマチックで良かったけれど、考え方によってはちょっと不思議な光景。。。
自分の犬を警察犬にしたいと思う人って、自分の子供を東大に入れたい親みたいなものなんじゃないかなと。自分の犬を人にキチンと訓練して欲しいという甘さもさりげなく香ったりして。
先日、行方不明になった痴呆症の老人を匂いで追跡して無事に保護した警察犬が居ました、お手柄です。その時の担当訓練士さんのコメントの中にこんな言葉が。「発見でき、周囲が喜び明るくなったのを察知して、○○も喜んでいた」。実に正しい表現だなあとしみじみ納得。つまり警察犬の○○は行方不明の**さんを探したくて探したわけではない。**さんの奥さんや子供さんがこんなに心配しているから、何が何でも俺が助け出すんだ!とか思って追跡したワケではない。ただこの匂いを追跡しろと言われ、いつもの訓練と同じ様に追跡して行った結果、人を発見した。そして、周りが何だか喜んでいて、訓練士に誉めてもらえて嬉しかった、それが真実。多くの愛犬家はこの部分を、勝手に擬人化してドラマチックに捉えすぎているのではないでしょうかね。
犬の精神的本質のうちの75%は「本能」。飼ってからのトレーニングや自己の体験によって後天的に習得する特性は10%だけ。残りの15%は遺伝的特性です。この事実を本当に理解していないと犬を本当に分かる事はできません。犬に近い所で生きている人間は、犬が人間でないことを良く知っていますし、犬のコワサも知っています。もちろん犬は言葉がある程度分かるし、色々な事を理解するとても賢い動物ですが、人間にとって都合の良い捉え方だけで分かった気になっていると、後でとんでもないシッペ返しが来るかも。
英国の高名なドッグトレーナーが言っていました。「犬は人ではないから、人としてではなく、犬として躾けるべき。」犬の数が子供の数を超えた「ペット共生社会」の日本で、忘れずにおきたい言葉です。
さて、アナタのワンコ、警察犬にしたいですか?